3月11日あの日あの時
3月11日。あの日からもう6年経つんだね。
ほんと時間の流れって早い…。
今日の午後のテレビを見ていたら、
ふと目に入ってきた黙祷へのカウントダウン。
年末年始のような賑やかでわくわくするようなものなどではなく、
多くの人にとって悲しい思い出がつまっている時刻へのカウントダウン。
今日はいつもの名古屋ネタではなくて、
3月11日に起きた「東日本大震災」について。
みんなはあの日をどこで迎えていたんだろう?
自分はというと、当時は大学卒業を間近に控えた大学生。
当時は実家にいたんだよね。
実家は2階建てなんだけど、その2階にいたら突然グラッと!
「あ~、いつもの地震だなぁ・・・」なんて暢気に構えていたら、
突然大きな揺れが。今までに体験したことない揺れだった。
母親と弟と一緒に家を飛び出ると、
これでもかってぐらいに揺れる電柱・電線・周囲の樹木と我が家…
その揺れがずーっと続くもんだから、
近所の人達が出てきて、みんなで一緒に広い畑へ避難。
あんな体験は初めてだった。
実家のある地域は震度6弱を記録。
近所ではないけど、実家のある市内で液状化現象も起きた。
千葉県の浦安市がニュースでよく放映されていたけど、
被害が出た地域はあっちこっちに点在していたみたいだね。
揺れがおさまって実家に入ったら、
物が散乱しててひどいありさま。
「あらら~」と思いつつ、片づけをしているときに、
水道から水が出ないことや、電気がつかないことに気づく。
この時点では、東北地方が大変なことになってるなんて、
思いもしなかった。
片づけをしながら、ふとスマホに目をやると、
「宮城 震度7」って出てて。。。
一瞬「ん??」ってなって。。。
断水や停電は結局夜になっても復旧せず、
夜は家族で毛布をかぶって過ごすことに。
ここで、弟がラジオを引っ張り出してきて、
そこでようやく東日本全体に大きな地震があって、
そして大変な被害が出ているって実感が湧いたんだよね。
翌朝までひっきりなしに鳴る緊急地震速報。
ライフラインが遮断されたら、
生活がホント成り立たなくなることを実感。
翌朝にライフラインが復旧して、
そしてテレビには信じられないほどの、
東北の惨状が映っていて。
大学の後輩で実家が流されてしまったりしたコがいたり、
新卒で入社した会社の新卒研修で、
東北の拠点が壊滅的で研修が受けられないからと、
東京に来た同僚達がいたり。
今まで普通だったことが普通ではないと思い知らされた日。
それが自分にとっての3月11日。
大きな被害を受けてもっと辛い思いをしている人がいると思うし、
当時を思い出させるようなことを書くのはちょっと気が引けたけど、
あえて書いたのはやっぱり忘れてはいけないと思ったから。
午後2時46分。自分も1分間だけですが、黙祷を捧げました。
どうか東北の復興が一刻も早く完了するように願いを込めて。
これからもずっと忘れずにいよう。
あの日あの時を。